私の育児は、育児とは呼べないような「人まかせ」な育児から始まりました。
子供を産んでも、育てていくことを全くイメージしていなかったのです。
「誰かが助けてくれるだろう」「誰かがやってくれるだろう」そんな甘えた気持ち
がどこかにあったような気がしました。
当時25歳の私には、まだ「親になる」ということを、恥ずかしながら、全く理解
出来ていなかったのです。
現に、長男は仕事をしていたとはいえ、昼間はほぼ実家の母に預けっぱなし。
仕事が休みの日に長男と2人きりになると、何をしていいのか解らずにボーッと
して いたこともありました。
そして年子で次男が生まれ、正社員だった仕事をやめて専業主婦になりました。
時間が自由になったことで、育児に専念するどころかネットの世界にハマり、
育児サイトだママ友だと暇さえあればパソコンの前に座り、家事や育児は完全
に二の次。
ネットの向こうのママ友や、同じようにネットにハマっていた近所のママ友たちと
共 に「これくらい息抜きしてもいいよね」という言葉を合言葉に、息抜きし放題の
生活 をしていたのです。
子供が少しずつ、たくさんのことを覚えて成長し、そして大きくなっていく。
そんな当たり前のことすら煩わしく、「とにかく早く大きくなれ」「早く時間が経て
ばいい」と、そんなことばかりを考えていたように思います。
でも、それは大きな間違いだったと、今はとても悔いています。
たしかに育児に息抜きや楽しみも必要です。
でも、子供の存在を無視したり、家事ややるべきことをせずにそれをすることを、
息抜きというでしょうか?
少しだけでもいいから、想像して欲しい。
パソコンに向かっているママの背中を見つめている、自分の可愛い我が子のこ
と。
私は、当時3歳になったばかりの長男に言われた一言で、目が覚めました。
相変わらずパソコンに夢中で、子供が片言に話す言葉の返事も「うん、うん」
と適当な相槌しか打っていませんでした。
そんな私の元へ来て、じっと私を見上げながら長男は言ったのです。
「おかーさん、たいちゃんの話、ちゃんときいてる?」
その当時、まだそれほど上手くおしゃべりが出来たわけではないのに。
その時のその言葉は驚くほどハッキリと、そして私の心にズバリと響きました。
それから近所のママ友との考え方の違いや、仕事を再開したこと、そして三番
目の妊娠・出産を通して、私の「育児に対する考え方」はどんどん変わっていき
ました。
今もネットの世界は好きだし、パソコンに触らない日なんてないくらいパソコン漬
けの毎日を過ごしています。
けれど、子供たちがいる時には、極力パソコンに向かわないようになりました。
どうしてもやりたくなったら「やってもいい?」と子供たちに聞いてから、短時間だ
けやるようにしています。
あとは子供たちが起きてくるまでの朝や、子供たちが寝た後の夜。
完全にそれだけと は言い切れないけれど、以前のように見境無く何時間も…と
いうことはしなくなりました。
そして、あの時のことを思うと恥ずかしいと思う反面、なんてバカなことをしてい
たんだろう、と長男と次男に対する謝罪の気持ちが湧いてきます。
どうしてもっと子供たちと一緒に過ごすことができなかったんだろう。
自分の時間が自由にならないのは、ほんの2〜3年だけなのに。どうして子供た
ちと 一緒にのんびりと過ごすことが出来なかったんだろう。
あの頃の長男と次男に謝りたいという気持ちでいっぱいになるときがあります。
でも、そう思うときは、「今できることをやろう」と気持ちを切り替えています。
長男と一緒にゲームをして遊んだり、次男と一緒に宿題をやったり…
あの頃の時間を 取り戻すように、2人との時間を過ごすように心がけています。
三男に関しては、「早く時間が経てばいいのに」とは全く思いません。
まぁ時々「早く大きくなって〜」と切実に思うことはありますけれど…。
でも、以前のように、少しずつ育っていく子供たちを無視するようなことはなくな
りました。 一度グウタラを覚えてしまったら、そこから抜け出すのは大変です。
今、私はその時のツケを払わされているのだと感じています。
だからこそ、「もう一度やってみなさい」と3人目の命を与えられ、こうして今、子
供たちと一緒に育まれている。 そう感じています。
過去の自分を悔いたり恥ずかしいと感じるのは、私だけではないかもしれない。
だからこそ、今できることをやらなければならないと私は思います。
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