育児は育自

親子の数だけ色々な子育てがある。私の体験記

共に〜私の自分育て@

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・text & photo by めがねうさぎ


今、10才と7才の姉妹の子育てをしているめがねうさぎといいます。
みなさんは、今どんな形で子育てをしているのでしょうか?
働きながら、子供を学童に預けている。
専業主婦だけど、幼稚園にまだいかない幼児と毎日過ごしている。
もう、子供は大きくて手がかからないから自分だけの時間を楽しいんでいる。

親子の数だけ色々な子育てがあると思います。

今回ここで、私がこの10年間子育てをして感じたことを書いてみたいと思います。
ちなみに私は、専業主婦で学校の役員をして読み聞かせや
ブックスタートのボランティアを今年からはじめました。


子育ては、10才の長女が生まれたところから始まりました。
生まれたときの思いってみなさん覚えていますか?
私は、今はもうやっていない助産院での水中出産でした。
水の中で「ハイ、赤ちゃんよ」と助産婦さんに渡されたとき
「えっ?私お母さんになったの?どうしよう」というのが正直な思いでした。

元々、不安を多く感じるタイプだった私は
その後の母乳育児と寝不足で今思えば軽いノイローゼ気味になってました。
あらゆる育児書を読み、かなり偏った考え方をしていたと思います。
その根底にあったのは

「自分を信じることができない」

どうしていいか分からない。
未来が不安。
というものでした。

しかし、助産婦さんたちの手厚いフォローがあり
2才ちょっとまでどうにかこうにか実家の母の助けをかりながら
長女を育てました。その頃、次女がお腹にいるのをしり
長女が3才のときに次女を産みました。

それからが、本当に大変でした。
長女より次女の育児に一生懸命になり
実家の母が

「もっと〇ちゃんに優しくしてあげなさい!」
と言われたほどでした。


しかし、そのときの私が思ったことは 「私の母親なのに、何で私が苦しいのわかってくれないの?」という
怒りでした。

それほどまでに、マムでもよく書かれている
インナーチャイルドが癒されていなかったのだと思います。

たしかに、家にいるとストレスがたまり長女にあたるようになっていました。
やってはいけないと思ってはいるものの、その気持ちを否定すると
自分が苦しくて仕方なかったのです。
それを主人にもわかってほしかったのですが
すべてを理解するには、相手も仕事で疲れている体と精神では受け止めることは出来なかった為、
すれ違いが多くなってました。

そんな中、助産院にあったある子育てに関する小冊子を読みました。
なんていうか、目から鱗って感じの文章がそこにあったのです。

それまで、リトミックをやったりこどもの勉強会というものに出たり
夜寝る前は読み聞かせをしたりと、子供に良いと思われることはして
‘良い母でなければいけない’と思うようになってました。
それが、自分で自分を追い込むことになっていることを知らずに。

昼間、人前に出るとやさしいお母さん
でも、家に帰ると無理をしていたものがあふれ出てきて
怖いお母さんだっと思います。

私が出会ったその冊子には

「親も一緒に楽しむ」

そうゆうことが、書かれていました。

えっ?どうゆう事なんだろう?最初はわからかなったのですが
その人のやる、劇遊びに参加してみることにしました。
そのとき、次女は主人に預けてその頃7才だった長女を参加しました。

そこでは、大人も子供も一つの劇を演じるという遊びでした。
最初、その劇を作ったご夫婦が2人で演じてくれました(ご夫婦のオリジナル)
その後、なりたい役にみんな分かれ、めいめいがそこにある材料で衣装を作り
同じ役同士でどんな風に演じるか話合い(勿論みなさん初対面でした)
場面場面で演じない人がみてやるという、私の世界にはないものでした。

長女は私とは違う役をやりたいと、違うグループの輪に入り
ちょっとみると、楽しそうに笑顔で話し合いに参加してました。

大人も子供も楽しんで一緒に遊ぶ。

こんなことをいうのかな?と思いながらもその劇遊びは終わりました。

その日から、少しずつ子供との接し方が変わってきたと思います。
悩んだときは、先輩お母さんやお父さんのお話を聞いたりして
良いもので自分が出来そうなことからやっていきました。

それと同時に、色んな苦しみを味わうこととなりました。
でも、味わうのはいいことなのだと思います。
味わって消化して自分の血肉となる。

ただ、闇のものとして心の隅にいたものが
ちゃんと、向き合うことができうのだから。

そして、
今はその人が主催の遊びには家族で参加するようになりました。
私も、家族も楽しいのですから。

そして、そこには異年齢での交流が生まれてました。
長女には、お姉ちゃんやお兄ちゃんのような年の子との交流。
次女には、妹や弟のような年の子との交流。

長女はそこにいる大きい人たちに甘え
次女はそこにいる小さい子たちに対しておねえちゃんになってました。

私は、色んな年の子供と交流ができて
子供というものを肌で感じることができました。

例えば、子供からの話で「〇〇くんが、〇ちゃんを泣かした」という話を
聞いたときその話からだけだと、〇〇くんは悪い子だ!と決め付けちゃいがちですが
そこで、子供達を交流していると
「子供は、こうゆうものなんだ」というのが納得できるようになってました。

2〜3才の子は我が強くて当たり前。
4〜5才の男の子で元気が良い子はとにかく発散したくて仕方がない。
その他色々と、みていると本当に「悪い子」はいないのだと
思わずにはいられないのです。

一緒に遊ぶ場で、河原遊びもあります。

そんなとき、前にあったときはとっても不機嫌で怒鳴っていた子が
秘密の家をそこにあるススキなどで作ろうとしていると
誰に言われなくても、刈ったススキをいっぱい持ってきてくれるのです。
一緒に遊ぶと、言われなくても協力をしてくれるのです。

もう、一緒に遊ぶようになって3年くらい経ったでしょうか。

気がつくと、みんなが誰のためでなく自分が楽しみたいから
集まり、誰の指示を待つのでなくやりたいから一緒にやりたい人を集い
あちらこちらで、色んな場がそこには出来ていて気持ちがいい場所になってます。

そこでは、「みんながやりたいことをする」がルール。

でも、今の家族はそういうことに飢えているのだと思います。
(私の家族も含め)
だから、自然と「この指と〜〜まれ!」と声をだしていうと
「は〜〜〜〜〜い!」って誰かがとまってくれると思います。

受身でなく、自分から発していく。

きっと誰かがその指にとまってくれるはずです。

そして、発してきた人はきっと自分が楽しむことをやりたい人だから
どんどん、楽しいことを提案しちゃいましょう!!!

結局、「自分が楽しい。が、子供も楽しい。」だと思います。